kluftroseは快復しないのか日記 4
※快復するための細かい階段を細かく割ろう
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※過去ログ
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7/23の空
2022/11/26(土)24:11
つかれているなあ、と思う。
すると憑かれているいるなあ、と内心の言葉が変換して言ってくる。
それで間違いない、と思う。
もうじきに、母の一度目の命日を迎える。
いつものように、実感はあるようで無い。
と思えば突如周年的なイベントによって昨年の記憶の蓋が開く。
祖母も母もお骨になったまま、まだ仏壇の両脇でタッグを組んでいる。
(私は実家を離れているのでほぼ見る機会はないものの)
友人と呼ぶのはおこがましいが、命の境界を伝い歩く言葉を、四十肩になるほど携帯を握りしめて追っていたことがある知り合いが、母の二週間ほど前に亡くなっていたことをやっと知る。
常に自分のお世話で両手から頭まで塞がっているというプレッシャーに弱い私はしばしば人間関係を場所ごと移動してきた。
その度に大事だったはずの人間の訃報に間に合わないような、無関心の、傍観者の透明な盾で自分の過去を覆い尽くす。
たった三回目の間に合わなさにしても、それぞれに思いは違うとしても、自分という人間の行動の冷たさ、認識の冷たさに戸惑う。
後悔はないと言う。後悔はないと、思う。
自分の限界を知っているからこそ私は、命をかけて死と生を全力で天秤にかけながら生きようとする人から遠ざかる。
所詮は綺麗事の世界しか知らない私の、言えることなど大して多くもなく、所詮は生を根源から信じている私の、言葉など届くはずもない。そう思っている。
生を閉じた人に言える言葉はなにもない。
それは消費される物語を語ることにすぎない。
(私の場合は)
生きているうちにまだ言えることがあったのかもしれない。
関わっていれば、あったのかもしれない。
世界には美しいものがまだたくさん、いつでもある。友達が死にそうだと弱りきったぼんやりした態度でつぶやいた私にはそう言葉をかけてくれる人がいた。
せめて美しいものを見たときには、彼に伝えたらよかったのだろうな、と思い返す。
向いていない。
とても向いていない性格なのだけれどね。
一つの死について後悔をしていないと言える冷酷さを私は記録しておく。
命日には家で線香を立てようと思う。
慰めにはならないだろうが。
(了)
2022/11/08(火)17:28
ウボァさんの霊圧が……と思っていたが、書くのもなんだろうか、と思って書かずにいた。
またのご来店お待ちしております。
(いや、中の人でしょ)
オッスオッスです。かろうじて生きていますですuvoa.icon
おう、お大事になさってくださいませ🍵
どうも調子が振るわないけど、書きたいのはそういうことではない。
じゃ、なんだろうと思って立ち尽くす感じ。
2022/11/06(日)24:21
だいぶボーッとしている。毎日同じことを書いているような気もする。
散歩しながら録音をしたくてOLYMPUSのボイスレコーダーを出してきたが、マイクが合わずに断念。スマホにすればいいじゃない、と思う。
これらの二段構えで取材したことあったなあ、と数少ない体験を思い出す。
考え事をしたいのだが、頭が休みたがる。
今日の夕日は綺麗だったろうな、と思いながら薄目でカーテンの外の光が透けてくるのを見ていた。
(了)
2022/11/03(木)25:00
変な時間にセルフストライキして2時間くらい眠っていた。
ぼちぼちでやります。🍵
2022/11/03(木)7:35
昨日は何ヶ月に一度あるかないかの体調と天気の良い日で、遅刻魔が御用事15分前に現地に着き、頭の中と実際に自分を取り巻いている現在の体調や人間関係などのごちゃごちゃを話してきた。都合、うっかり自分で過去の地雷を踏んで、帰宅の道々フラッシュバックを起こしてしまった。
フラッシュバックと言っても普通、人が想像するような激しいものではなく、頭の締め付け感と、感情の噴出(怒りや恐怖など)、過去の記憶のトリガーとなるものを道々見つけてしまう視野狭窄感などがあるだけで、周りの人に気が付かれたことはまずない。
帰ってからご飯を食べつつ音楽鑑賞会を初めて自分(一応音楽部幽霊部長)で開き、21時台の終わりに早めに終了したものの、数人の好きな音楽を流してもらえて、自分の好きな歌も流せて知ってもらえて楽しかった。
その後グロッキーとなり、頓服を2錠飲んで、眠るまで友人と電話をしていた。
(0:20くらいまで)
朝は4:45頃に目が覚めて、お腹が早く空きすぎた、と思いクッキーを食べてしまったものの意外と胸がつかえるので、そのまま服薬をして(合間に久しぶりにマギアレコードをプレイし、新章報酬のなくなった旨味はないけどストーリーはある最新話をプレイしつつイベントをやるための仮面を貯めて、他プレイヤーを助けるためのメモリアと背景画面を手に入れたところでひと休憩)水を飲んでいる。
昨日と今日は比較的安定的だけれど、土曜に冷え込んでくるとどうなるのか、なるべく身のあるものを食べようと思いつつ、色んな選択肢を視野に入れて様子を見ている。
何かあったらまた書こう。
※散髪行けたえらい。
※御用事前にシャワーしたえらい。
※本屋で文庫を買ったえらい。
※家族間問題業務的に一歩進めたえらい。
※自分の現状のままならなさ含めてきちんと説明をし、猶予を尋ねることができたえらい。
🐣
(了)
追伸:なんで女子→男性と変わったのに隣の人壁側に向かって踏み込んでくるベタアシさんなのん?😢
2022/11/02(水)9:15
あさイチが放映している時間に起きている(数時間継続的に)。
今日は天気が良く室温が高いおかげもあると思う。
カーテンも広く開けたし、御用事前にシャワーを浴びられたら万全だ。
昨日は、もう入院をしないと健康に戻って行けないかな、と思うくらいに、体調の浮き沈みにぐったりしていたのだけど、今日がたまたま良い日でよかった。
(了)
2022/10/09(日)23:47
元気がない。
数日間世の中を連れ回してもらったのだけど、今回は疲労のほうが大きく、翌日足の裏の攣りと闘いながら眠った。
(まあそれは筋肉を使ったということでよろしい)
今もその疲れが抜けていない。
対人恐怖というと大袈裟だが、人に対するまとまった言葉がうまく出ずに詰まるようになってきた。(主にネットだが)一日二日おいてしまうことが多い。
避けても仕方がないのだが、ちょっと無理なんです、今はごめんなさい、と心の中で思って、とりあえずは返信しなければならないものだけは忘れないようにと考えている。
天気のせいもあるらしく、私の好きなフォロイーさんも具合が悪そうだった。気温がひどいものね。
最近はフリック入力の方向が悪いのか、その筋肉さえ落ちているのか、かなりの頻度で誤フリックをしていて、文章を打ちにくくなったのはそれもある。
線維筋痛症のほうなのか、運動不足なのか。
使わないといらないと判断されてしまう筋肉たち取り戻さないと。
(了)
2022/10/01(土)22:49
あまりに眠ってしまい、朝も起きるのが遅く怠いので睡眠導入剤を一種類減らしてみた。
2時間しか眠れなかったけれど、その前に夕方寝ていたので、眠気はなく、午前のボイチャに入り浸っていた。
いつ頃からかボイスチャットにいて、何か二の足を踏むような気持ちになることが多くなった。自分が弱っているせいなのだろうと思う。それでもなるべく、少なくとも言語化できたことは伝えるようにする。
今日は賑やかな休日を過ごすことができた。
名無しさんのイベントで「50日目の少女へ」を読む。普段集中力が発揮できない私にしては繰り返しコマを追い、他のみんなが指摘することを確認したり、キャラクターの表情を見直したりした。
東京コンプレックスを拗らせたりして、このところ老害度が増しているクラフトさんとしては、名無しさんの知の体系は、角度として知り得ないことが多く、新鮮だ。
自分を通り過ぎていく諸々のことが私を作る。
ただ通り過ぎていくだけでさえ、そうなのだ。
能動と受動のあいだに立ち止まっている。
(了)
2022/09/29(木)25:10
眠れないので(眠らないので)日記を書く。
誰か東京に詳しい人と出かけてみたい。
と思うものの体力差を考えると気をつけないと介護になるので(お出かけの際はテンションが張っているのでほぼならないけれど)そんな空想も空想のうちにポシャらせる。
眠りすぎて固まっていたが、なんとか起きて、ペットボトル2本(500ml)のスポーツドリンクを買ってきた。血液が濃くなると検査で言われるとちょっと怖いので。
元彼氏さんがお別れという概念を理解しないので、そろそろ全撤退始めないといかん。
あらゆることに対しての感慨が薄いので、他人の都合のいい人間として振る舞いがち(振る舞ってはいないけれど解釈が固定している人には弱い)。
彼が仕事を転勤して落ち着いたら別れようと思っていたのに、弱みばかり見せられるようになって、今は元々なかった(話してなかった?)鬱が悪化しているそう。
色んなものを背負って生きている人なので私に別れられても死にはしないと思う。
鬱の人でも構わないのだが、内容のない話をするのが苦手なのでお別れします。
(超アスペっぽい理由だな)
好きの確認毎日とか(元彼氏だ)、言語でのチューのお返し要請とか(元彼氏だ)、謎の替え歌歌謡が続いたりとか(自他共に認める音痴)、そんな電話を毎日受けていたら精神的に死ぬので、最近は毎日は取りません。
非常に気の毒だとは思うけれど、報いがないのが愛だと分かっているそうなので、そろそろ諦めてくだされね。
なんだか生々しい愚痴になってしまったよ。
ボイチャでみんなのマンマになったんだけど、往生際悪いのでお姉ちゃんにしておいてください(笑)
(了)
2022/09/25(日)25:42
今日の夕方を良いものにしようと、カーテンを広めに開けたり、細く換気したり、コーヒーを飲んだらしながらボイチャに転がっていた。
ぼちぼちとみなさんが来てくれたおかげで楽しい夕べを過ごすことができ、無事晩御飯も食べられた。
ありがたや。
人と喋っている時の私はたぶんわりと正気なのだなあ。
(了)
2022/09/25(日)2:21
夕方から眠りすぎて、起きているのが辛くない。
最近、内心のパニック(byぽんさん)を起こしている自分に気がつくので、「確認」行動をきちんとすることにした。
結果、博多人形は祖母宅の寝室にいるらしいことを知ることができ、落ち着く。
自分には弓野人形の鳩笛を与えて宥めた。
子どもの頃祖父が縁日の射的で張り子の青い鳩を取ってくれたのを大事にしていたのだけど、小学校の頃、同級生と一日交換したら、返してくれなかった。手元には黄色い鳩が残ったけど、それは祖父の取ってくれたものではない。形見がなくなってしまったので、抗議したらその子の姉上から馬鹿! と言われたので理不尽にも引っ込むしかなかった。
このことは大人の今もうほとんど忘れているけれど、いつか青っぽい鳩がいたら買おうと思っていた。思い出とはそのように手元に残し直すことができるし、それは偽物ではない。
吉本ばななが、犬を喪ったら犬を飼いましょうというようなことを言っていた。今の犬の中に昔の犬の思い出もあるし、昔の犬とは違う今の犬もある。
そんなことをこっそり家訓にしている。
吉本ばななはそういう一家伝承のような知恵を言葉にするのがとてもうまい。
(今は、よしもとばなな、さんでした)
さて調子に乗っていないで眠ろう。
今日はとても興味深く、取り入れることができる部分もある話を聞けた。
ラジオに間に合わない体質をなんとかしよう。
(了)
2022/09/23(金)08:03
ふた月連続でお薬の種類が増えました。
以前の増量の際、過覚醒や焦燥感が出ていたので一度減らしてもらったのですが今回の再増量ではそうしたこともなく、落ち込みが続くのでご相談をして別のお薬を足すことに。
今日の寝覚めはプラシーボ効果ではっきりしています。
昨夜隣人が不穏で、夜中もちょくちょく部屋をベタ足で歩き回っていたので、眠れていないのかもしれない、かもしれない。
自分のユーザーページからスクリプトを消した。たぶんなんか間違ってる気がするので。
昨日読んだ本が当たりで、最初こそパンチが弱く感じていたものの、章を追うごとに視点を変えて登場人物たちのその後が描かれ、視点人物それぞれも魅力的に描かれ、久しぶりに没入して物語を読んでいた。
まだ途中。
また何か続きがあったら書きます。
おはやう、おはやう。
(了)
2022/09/21(木)24:17
どうにもメンタルと身体の調子がよろしくない。夢見も毎日悪い。
薬が増えているのにこれである。なにも疲労していないのに「回復系オルニチン」の入っているビタミンウォーターを買ってこようかと思うくらい落ち込んでいる。
毎日実家の夢を見る。
本物の実家とは違う夢が多い。
家族がみんなで(母や祖母も)住んでいる。
もうとうにあり得ないことが繰り返し夢の中で甦る悪夢。
母のことは今更何を言っても仕方がないのはわかっているのだが、もっとたくさん話をしたかった。
とても寂しい。
あれだけ私の持つ病には理解のなかった母だったのに、人生をギリギリまで削られたのに、優しかった晩年が急に終わり、残す思い出さえ残酷だ。
数年前の正月に、一升瓶をつい一人でスイスイ飲んでしまって、さすがに急に酔いがまわり、おかあさん、生んでくれてありがとー!! と叫び、葬儀の日にお棺に入れたモケケ(大)と寝ると言い張り、朝にはそれを床にぶん投げ、そんな日があったことに感謝している。
母は私を未熟児に生んだことを心の奥で常に気にしており、それをずっと私は訂正しながら生きてきたけれど、どこかで私の精神的「弱さ」について、肯定できないままだったなあと思う。
他の家族についても精神的病や自閉症に対する理解はない。
求めても無駄だと最初からわかっているので、説明もしないし言い訳もしない。
どうにも目の裏に焼き付いてしまった祖母宅の懐かしさの喪失が、大きい。
捨てるのなら言って、郷土人形をもらってくればよかったと思う。すべて売る、お金がないから、が兄弟の口癖になっているから、そもそももらえはしなかったとしても。
佐渡だったかな。-博多だと思う。
探してみよう。
そんなこんなでどうにも調子が最悪であります。苫米地英人でも読んでいたらいいと思います。
(了)
2022/09/17(土)24:55
最近は全然文章を書いていません。
これは良くありません。
先月に実家に帰って頭パーンしてから、言語化するとなんだか複雑でドス黒いことが前面に出てくるので、心の中を言語化するということがかなり困難になりました。
祖母と母の庭は3本くらいの木を残して無くなりました。さよならスズメたち。さよならスズメの餌の棲家の菊たち。さよなら頑張って越冬して咲いたりしてくれて母を喜ばせていた蘭たち。
星の王子さまの父が、母が祖母に買いたいと一緒に買ったという黄色い薔薇を救出して実家で養生しています。
入ってすぐに出迎えてくれた優しい指先の郷土人形もいなくなり、ウェルカムボードがあり、ジャニーズJr.のぬいぐるみたちがぞろぞろと並ぶ『他人の家』に遊びに来た感じ、その親しみにまず慣れなくて、実家のほうも父親が片付けの鬼と化していて、色んなものが整頓されている。
母の生前には家族のみんなが鬱っぽく振る舞うしか自分の発揮できることがなく、出来なかったことを今やっているのだと分かっていても、私の頭は失われていく原風景に引っ張られて二つに裂けるかと思いました。
あとはもう本を捨てろのプレッシャーですね。
宝物以外は手放す、という基準を教えていただいたので心が決まり少し楽になりました。
それを実行できると良いです。
人が生きて、場所はその主につれて変化していくことは、祖父を失って以来38年変わらなかった祖母宅や母の心、その状態よりは生きているということなのだとは思います。ただそこに、私の大事に思っていたものたちがどの程度残ってくれるのかは全く見えないので、元の私の部屋、元気な時の母が寝ていた部屋が、今後どう扱われるようになるのか、家族が勝手に片付けには入るけれど一応まだ手をつけずに残している一画ではあるのですが、心を残さないように、少しずつ移転をし、捨てられた際に受けたショックは、ここら辺に書き散らしてぎゃーぎゃー騒ぐかもしれませんが、未確定なことが多いと疲れますね。
納骨等を抱えている兄弟も別側面ではそうだとは思うので同情はします。
(了)
2022/09/10(土)24:23
元気ナッシングです。
私は環境の変化にわりと弱いほうなのですが、ひと月に一度元彼氏さんが私の生存確認に来て、そのテンションに合わせた自分という人格と、一人でいる時の自分の感覚がかけ離れていて、体力的な揺り戻しのようなものに毎回見舞われている気がします。
おかしな関係性だなぁとは思います。
元々鬱ではなかった相手の鬱がどんどん酷くなっていくので、すがられています。
とはいえ泣き言をほとんど言うでもなく、来訪した時は家事買い出し等の手伝いをしてくれます。
頼っています。
ヘルパーさんへの移行は少しずつ許可が降りてきて、進みそうです。
頭も心もわりとばらばらで、うまくまとまりませんね。
今度は目が覚めている時間に書いてみます。
おやすみなさい。
(了)
2022/08/24(水)24:20
大講堂と101談話室にて、社会学と心理学の歴史や変遷、お互いの類似する部分の話(最後のほうは科学哲学までリーチが伸びていた)を聴いた。
私は本棚の背表紙や本を書いた人の名前だけはなぜか覚えるので、中身のあるようでない合いの手をテキストで挟みながら聴いていた。
(そうしていると他人事になりにくい)
最後のほうは高度すぎてそこは触ったことないぜ領域にかっとんでいったので(それでも皆さんセーブして話していると思う)無テキストになりつつ、面白い時間を過ごすことができた。
(ここで済んじゃった感を出すと私のなかで一挙忘却が始まるので、なにか紐でも残しておきたいのだけど)
短時間帰省をしてきて、家族それぞれに新しい生活の仕方に専念することで喪失を埋め合わせて頑張っているのかなと思えることがいくつか発見された。
特に父親の整理整頓の鬼っぷりは今生で初めて見たものなので思わず心の中でひっくり返った。
母がいた時にしていたらと家族達は言いつつ、母がいたのでできなかったのだろうなと思う。
私の本はとりあえず秋までは無事らしい。5千円する本があるのだと言っても、ブッ◯オフに自分の文庫本を大量に売って1,800円だったという父にはあまりたぶんピンと来ていない。定価のことだと思っているでしょう。
(父が読むのは大衆向け作品のよく売れている本なので在庫がダブついているのだよ!)
でも「そういう(高そうな)のは残しとくから」と言っていた。「捨てるぞ」からの進化か。
父から見た母や家族観の話を少しだけ聞いた。分かり合えるわけではないけれど、今まで母に家庭内政治的に蓋をされていた父の言いぶんというものにはじめて触れた。父親が後悔を口にすることも初めてだった。
兄弟の「御殿」も見てきて、変に安心した。自分の世界を今まで作りたくても作れなかったんだろうなと思い、また前向きに生活を進めていくことで生と向き合っていることに安堵した。
案外一番立ち上がれていないのは私なのかもしれない。
とはいえ、なんとか以前よりも自分に優しく接することで、むしろ用事を予定通り(順延することはあるけれど)こなすことができている。
そのぶん疲労して失語したり、眠り込む日もまだあるけれど。
実家の体重計が壊れているのか、5kg痩せていた。脂肪が増えている感覚はあるので筋肉が落ちている可能性を考える。
なので今日は少し頑張って短距離散歩をしてきた。歩かないよりまし。
面白かった話が色々あるのだけど、寝なくては予定に響くので、またにします。
・人形には心が宿るという話
・犬の幽霊の話
・その他
・さらばぬいぐるみたち問題
(了)
2022/08/22(月)10:46
突然の腰痛(ぎっくりに近い)でもとりあえずのご用事を済ませるための準備としてロキソニンを飲んだ(胃腸薬も)。湿布を貼った。
朝ご飯のグラノーラを少なめにして温めて(!)食べた。
夏バテらしくこれが意外と身体に心地よかった(味はちょっと)。
あとはきちんと恐れつつご連絡をして、遅れることを伝えることをした。
ブラック会社ではなく福祉関係なので、もあってか怒られることはなく、数時間様子を見ることになりました。
最近こういう次善の策を考えられるようになった。
前は静かなるパニックと共に寝込んでいた。
(廃墟4号室より移植)
2022/08/12(金)24:59
感情がすぐにフラットになってしまい、心に印象が残ってくれません。
3番目の日記タイトルに空白が足りないので間に足しました。
明日は台風だというのにコロッケが有りません。
盆休みに妹が帰ってくる可能性を忘却し、兄弟が友達を泊めているので帰れません。
(書類を書いてもらうだけなので郵送で済みます)
(まあたぶん、これまでの積み重ねで、盆休みだからといって帰ってくる妹とは思われていないというほうが正しい)
※実家は2箇所に分裂しており、父のほうに泊まればいい話なのですが。
※そもそも俺、家出中年だし。
30分以上に渡る日航機123便墜落事故のフライトレコーダーを2種類ほど聴いて頭がぼんやりしています。※ただ眠いだけかも。
祖父が亡くなったの、たぶん5歳の冬で、明けた年の夏にこの事故でした(おや一年すっ飛ばしてるなたぶん)。その頃は今よりあっけらかんとしていた私でしたが、速報や続報を毎日のニュースの中で見ていたと思います。うすらぼんやりした記憶ですが。
今でも「垂直尾翼」という言葉の音が怖いです。
(秋生まれなのでいつもだいたい、年齢がひとつ若い計算になってます)
86年が岡田有希子の死で、アイドルも自ら死にゆくことがあるのかとびっくりしたのを覚えています。これがたぶん7歳。
えらく暗い話で記憶を繋いでいるなあと思うのですが、祖父が亡くなってより、人は死んだらどこへ行くのかという疑問につま先だけを突っ込んでいた私にとって、日常をげらげらと兄弟と笑ったり取っ組み合いの喧嘩をしたりしながら過ごしつつも、意識のどこか一片は、その疑問について捉われていたように思います。
小学生時代の国語の教科書の、死について書かれた部分が鉛筆で真っ黒に塗り潰されているのをいつだったか発見して驚きました。
私は同級生たちからお化けだの暗いだの言われつつもひょうきんな人間だったからです。
小林紀晴「愛のかたち」(河出文庫)のなかに「呪われた眼」という表現があって考え込んでいるのですが、私の、他人の死に対する接近の仕方は、果たして欲動的なものなのか、と考えると、半分はそうであるが半分は違うと答えると思います。
私という主体の欲望のために他人の死の「体験」の情報が必要なのではなく、私という主体の成り立つ境目にいつも他人の死というものが際立って張り付いている、そのことのなぞり直しに近いのではと自分について私は考えています。
※まあこれは不健全ではありますが、生きていく方法としては代替え案を見つけるまで持っていないといけない性質のようです。
「すべてがFになる」森博嗣(講談社文庫)の西之園萌絵のように、飛んで火に入る夏の虫をやりかねないので、気をつけたいとは思っています。
(ちなみに萌絵ちゃんは続編にて死への接近から寛解しています)
今日書けることはこのくらいかと思うので、寝ます。
(了)
2022/08/07(日)17:18
何を書こうとしていたのか。
なぜか中断したまま残る空白。
2022/08/01(月)24:06
8月です。
暑いので自分で髪をベリーショートにしたくなりますが、不器用なのでやめておくのが無難なのです。
最近日傘と杖を両方持った上で背中にリュックサック(古い)を背負うのは暑いでしょうがあ〜。と内心で文句を言っておりまだ日傘も買っていません。
(祖母の折り畳み傘を母からもらってきたのだけれど、持って帰ってきたのか覚えがないです)
登山家の人のブログなどを読んで参考にするといいのか。本当か。
(ちなみに岡本太郎の太陽の塔グラスもひとつくれると言っていた母でしたが、今家族からもらえるかちょっとわからないので地雷を踏むか諦めて黙っておくか迷い中です。その他諸々欲をかいても死んだ人との約束は他の人には見えないのでほどほどに)
全力を出しても追いつかない人のあまりに遠い背中を見る時、無力感に圧倒されたまま終わるのか、自分にできる最大限のことをやるのか、選べるとしたら後者の選択をする性格だったはずなのですが(いや、最小限だな)、今はどうしてか無力感ばかりが押し寄せてきます。
見えない病をいくつか持つうちに、自分のなまの実感というものは失われてゆき、何が赦しで何が甘えなのかの区別が自分でつかないまま、日々は過ぎていきます。
そう、日々は過ぎていきます。
私の家族は看取りということを知らず行ってしまうことで共通しているので、自分もたぶんある日ぽっくり雲散霧消するのだろうな(意識が)と思うのです。
そのことをわかっていながら、同じ部屋の天井を見続けている私のこのまだ比較的には健康な身体。
この世に締め切りというものがなければ、働けるんだけど、と本末転倒なことを思います。
まだまだ続きそうな気配のある文章なのに、今日はここで終わりです。
(たぶん、元気です)
(了)